H20 1993年~episode5 あっという間に迎える終焉。
2022-11-30取りあえず付け焼刃的に、原宿ラフォーレにお店を出すことになったH2o。
商品はニックのグラフィックが施されたTシャツと、その他数点アウターとボトムスを揃える事が関の山で、常識的にそれらでビジネスが成立するわけも無くw
また、ニックに頼んだ(はず)のグラフィックも彼の帰国後全く届かず。
そんな中、来日中リムーバブルディスクに彼が残していったグラフィックデータを使って、ボタン操作できる簡単なスライドムービーを自分が制作した。
このムービーは当時のMacintosh Quadra 840AVにバンドルされていたアプリケーションで作った。それらムービーをMacintosh Performa(Macintosh LC)に入れて、百貨店(丸井)でTシャツと共に展示なども行った。
当然ながらこの当時、これらで作られた動画と共にアパレルを展開するブランドなど皆無の為、各方面から引き合いはあったのですが、なにせ制作側内部が全く機能していない事、また岩崎氏のビジネスの考えもこの頃になると完全に「ブランドライセンス」中心の発想となっている為、必要な段取りが取れない。
今思い出してみると、この時Macintosh Performa(Macintosh LC)を用意したのは百貨店側。商品出展(今でいうPOPUP)でこれら機材まで用意してくれた事を考えると、かなり(いや相当)優遇されたオファーだったのだと思う。
結果、一部の層で、しかもその中でもごく限られた人にしかわからない事が、計画も無く雑誌広告のみ進行する形。なのでうまく行くはずも無く。また先に触れたマネージャーが最後に犯した決定的な間違いでPERSON’S本体の売り上げも20%減少と、資金的にもアップアップ。
追い打ちをかけるように岩崎氏のスキャンダルがワイドショーのニュースになってしまい、当時の妻が妻だけに大騒ぎ。
私が見ていたライセンス事業は優良企業との取引も多かった為、このスキャンダルは正直いい話ではなく、私が最後の方に立ち上げた「PARSON’S furniture」のコンセプトへの影響も、この騒動はとても痛い事w
同時に、まだこの当時アナーキックアジャストメントとの取引も続いており、こちらも一向に商品の入荷も無く(単純にニックがアナーキックアジャストメントを離れたから進むわけも無く)岩崎氏がデポジットとして支払っていた500万円についての回答も無く(オーナーであるアランから)という、まさに「八方塞がり」状態である事も発覚。
これ、まさに、よく言う「終わりの始まり」という現象です。
人の運気や流れなど(バイオリズムって言えばいいか)という物はやはり存在しているようで、多分岩崎氏は大きな変化を迎える時、もしくはほぼ垂直に下降し始めたのではないか??と今でこそ笑って考える事が出来ますが、当時は「自業自得ですね。。。」とあきれてものも言えない感覚だったし、このまま一緒に引きずり込まれるわけにはいかないという思いもよぎった。
そう
この頃、私はあと2~3か月ほどで女房との間に子供が生まれ、「父親」になる予定。なので、もう直観的に「ここから離れよう」という感覚になっていた。